女子アナの自惚れと転落

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 配役   めざましテレビ      井上 清華
     プライムオンラインTODAY  宮澤 智
      めざまし・どようび    久慈暁子  その他  堤 礼実 三上真奈             杉原千尋  海老原優香
     いずれもフジテレビ・女子アナウンサーの面々である。
 女子アナ7人は、日常欠かせない身嗜みの美容院と、健康維持に必要なジムをすべて無料で利用していたというのだ。
 交換条件は、女子アナ達の写真を美容院の宣伝のためのインスタに無条件に使用させるというものだった。自身の容姿について、よほど自信があったのだろう。
 文春砲が炸裂したとき、女子アナたちは一様に「何故?」「どうして?」「みんなやってるじゃん」反省どころか、怒りの矛先は何処から漏れたのか”犯人捜し”に躍起になったという。
 女子アナ達は、まずフジテレビ社員であるという自覚がない。多分自由な芸能人とでも錯覚しているのかもしれない。免許事業であるフジテレビのコンプライアンスに全く理解がない。
 そもそも女子アナという職業を持て囃し、社員女子アナのタレント化を計ったのは、フジテレビにほかならなかった。少し人気のでた女子アナたちは次々と独立を計り、タレント業に精出し、あげく関取やら芸能人との結婚に走った。メディアは面白おかしく芸能ネタとして利用した。女子アナたちはタレントとして無知を恥じることなく、グラビアを賑わし自己満足に走った。
 なかには局を辞めてから、大学に入り直して勉強するようなまともな女性もいたが、おおかたは脳ミソ空っぽのままテレビ芸者をつとめてきた。
 こうした現実を見て、後輩たちがテレビ局社員でありながら、美容院相手のステマ・ビジネスに走るのは、当然の帰結かもしれない。普段、コマーシャルを扱ってきた神経が、そのまま自分たちの行為への免罪符になっていたのかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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