女子アナのイロモノ化

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 門外不出!ギョーカイ幹部が秘蔵する「女子アナ視聴率ランキング」独占入手! こんな記事が週刊誌に踊っている。複数の民放キー局と広告代理店が極秘裏に作成したものだそうだ。
 キャバレーの入り口にずらりと張られたサービス嬢のごとくに、毎年ことしの有望株は、と話題を賑わす。女子アナというジャンルが芸能界のいっかくを占めるようになったのはそんなに古いことではない。
 かつて女子アナはニュース、天気予報をよみ、コマーシャルのためのスピーカーをつとめ、提供スポンサー名をよむのが主戦場だった。アナウンサー室にいて、報道や営業からくる原稿をじっとまっている。局外からは、顔として華やかなイメージでみられていたが、局内では発言力のない地味な存在だった。
 そこを切り開いたのが、立教大学出身のふたりの女子アナ、TBSの木元教子とNHKの野際陽子だといえよう。木元教子はTBSを退社後、フジの小川宏ショーや3時のあなたなどの司会をしていたが、一念発起、母校に再入学したのち見事にジャーナリストとして復帰、現在では原子力通として内閣府原子力委員会にも名を連ねている。野際陽子もNHK退局後、TBS女性専科の司会などをしていたが、パリ・ソルボンヌ大学に留学、帰国後に見事女優として華ひらいた。この二人に共通しているのは、いずれも尊大なところがない芸能人臭さのないひどく真面目な勉強家だということだろう。
 いつの頃からか、女子アナはプロ野球のオッカケとなり、サッカーの付添となり、グラドルの上前を刎ねて巨乳を売り物にするイロモノ・タレントになりはてた。態度の悪い芸能人第三位には、あの美しい膳場貴子がランクされた。
 「新春美人アナここまでやりますスペシャル」「全国女子アナ歌がうまい王座決定戦」「春の女子アナ料理対決」「女子アナもっと大人になりたい!スペシャル」等など、お座敷に限りはない。
 吉本興業女子アナ事業部など設立して、数字の獲れる女子アナと数字のとれない女子アナを選別し、再教育のうえキー局にもどしたら、さぞや喜ばれることだろう。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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