女の病は淡島さんにいってつかんせい

by

in

女の病は淡島さんにいってつかんせい
 3月3日の今日は、日本中でお雛様が流されている。
 桟俵にのった紙で作られた素朴なお雛様たちである。
 つとに有名なのは、鳥取用瀬町の流し雛、京都では下賀茂神社での御手洗川への雛流し、軽井沢の近辺でも北相木村では、かなんばれと呼ばれる雛流しがある。
 流し雛のウンチクでは、淡島さんの信仰を外すわけにはいかない。
 女性の病については昔から「淡島さんにいってくれ」とか「帯のしたの病いを治してつかんせい」とか、謎であった女性の病への治癒祈願、予防祈願をつかさどっていた淡島明神への信仰がもとになっていた。天照大神の第六女と伝えられる淡島明神が住吉さんと結婚するもシモの病いにかかり、堺の浜から流され3月3日に紀伊の国加太の浦についた、というところから物語がはじまっている。
 今風にいえば、この淡島明神を祀った加太神社から、淡島願人なる遊行僧、もっといえば乞食坊主が生まれて全国にひろがったのが淡島信仰なのだが、淡島願人が日本各地につくった淡島堂からこの流し雛という信仰行事も始まっている。
 病院もなければ、医者も居なかった時代、病を紙型にうつしたり、人形に移して川に流し、淡島さんまで流れ着いて治癒して欲しいという素朴な祈りの行事だった。
 いまでは川に桟俵や人形を流したら水が汚れるとか、衛生上良くないとか、あまり説得力のない理由から、すぐ下流で雛たちは回収されてしまうので、とても紀伊の国淡島さんまでは流れ着けない。結局病いは治らないように人間達がしているのだ。
 桟俵も川に沈めば自然に帰るし、雛に託した祈りだけが淡島にとどいて、病い全快となるかもしれない。
 祈りを失った民族は誰からも救われない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ