恒例のごとく夏が近ずくと、奥嵯峨の平野屋さんから鮎だよりの提灯が送られてくる。
コロナの3年、鮎とも疎遠になっていたことにきずく。
宮崎の高千穂峡、奥飛騨の谷あい、千曲川の上田とあちこちで鮎はたべてきたが、やっぱり鮎は奥嵯峨の平野屋さんに限る。
庭を流れる清流、いや激流に近い嵯峨の涼水で雑味を流し、香り高い繊細な味を楽しませてくれる。まさに香魚と呼ばれるにふさわしい鮎の味である。鮎の塩焼きに始まり、刺身、でんがく、と姿、香り、わたと楽しむ鮎尽くしは、にほんの食の本位と嬉しくなる。山家風なしつらえに水音と川風の馳走が加わり、鄙びた廊下の傾きまで、鮎料理のための装置となる。
美食家魯山人は「まず三、四寸ものを塩焼きにして食うのが本手」「鮎は俎上にのせて頭をはねても、ぽんぽん躍りあがるほど元気溌剌たる魚」だから、串にさして姿形よく焼き上げるのは「生やさしいことではない」なにより味と形の美を大切にした魯山人らしい発言。すこし前、数匹の稚鮎を見事な元気の形で若竹の細工を縫って卓上にまみえた吉兆の一篭を思い出した。
魚へんに占うと書く鮎のそもそもは、神功皇后に始まる。新羅討伐のおり、釣り針に飯粒をつけ鮎釣りをして、戦いの行方を占ったという故事に習ったところから「鮎」の字が生まれたと伝えられる。
「春に生まれ、夏育ち、秋衰え、冬に死す…故に年魚という」僅か一年で命を閉じる鮎は、日本人の死生観そのものであるという説もある。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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