奇人・変人・文人

by

in

 労働経験はない。/ 携帯はもつていない。/ 母親と二人暮らし。/ 教師には嫌われている。/ 友達はいない。/ 石原は嫌いだ。/ マスコミは嫌いだ。/ つねに不機嫌だ。/ 鉛筆は2Bだ。/ ギャラがでれば出て行く。/ シャーリー・マックレーンが好きだ。…お宅にもこんな中年のプータローが、生息していれば、ひょつとして芥川賞作家になる可能性がある。
 それにしても田中慎弥芥川賞受賞記者会見はひどかった。そこの女性記者と指名されたら、携帯がなくてどうやって連絡をうけましたか?だの、この喜びをどなたに伝えましたか?だの、スポーツの記者会見とまつたく同じなのだ。
 学芸記者の品質劣化がまざまざとよみとれた。文学と向かい合ったことがなく、周辺の雑報で日々すごしているから、テレビのワイドショウのレポーター並みの内容にあきれた。少しは勉強してこい、といいたい。
 「共食い」という作品についての応答はまったくないので、当然興味は田中慎弥の印象にうつっていく。
 曰く、なんらかの発達障害を抱えている。 曰く、ながらくニート、パラサイトシングル、負け犬。
曰く、貧乏で気位だけは高い。曰く優等生ぶつた見掛け倒し。曰く、礼儀しらずのマザコン。等など
 石原慎太郎の「…作家なんて、あんなもんだよ。」自分自身をふくめた人物評も面白かった。
 もらって当然、もらっといてやる、意欲はない、ひねくれもので生意気、常人の世界とは違う作家という
狭隘な世界をしらしめた功績は大きい。
 同じような息子をかかえたアラフォー、アラサーの女性たちは、「こんな異端児を育てている私、カッコいいって感じ…」母と子の異常愛はつづく。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ