太陽光発電・買取停止ドミノが始まった

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 福島原発事故に端を発した、再生エネルギー計画が早くも破綻をきたしている。
 全国の荒廃田を生かし、太陽光発電によるエネルギー革命をと、メディアを集めて宣言し、次世代のパイオニアとばかり花火を上げた人もあった。政府も40円強の買取価格を保証し、太陽光による発電を推奨した。
 が早くもこの再生エネルギー計画は頓挫してしまった。
 九州電力、北海道電力、四国電力、東北電力が次々と買取停止を発表した。東京電力、関西電力も買取停止時期を検討している。買取停止ドミノが発生した。
 畑を埋め尽くした見渡す限りの発電パネル、新しい建売住宅の屋根を飾っている発電パネルが、無用の邪魔者と化しつつある。
 予想以上の民間発電、電力の買取り希望が押し寄せ、これ以上は受け付けられないというのだ。電気の供給が需要を上回り、このうえは自動的に発電停止するより外はない、という漫画である。
 南軽井沢の山林30000坪も、太陽光発電のための禿山になろうとしている。ソフトバンクを始め発電業者たちが、真っ青になって撤退戦略を練っている時に、この田舎では、ひと山潰して、太陽光を始めようとしている。
 地権者の無知に乗じて、話を持ち掛けた業者のでたらめ、情報格差に鈍な町役場がいったいとなって、自然林を壊そうとしている。業者は倒産し、山には見渡す限りの打ち捨てられた発電パネルの集落、想像するだに馬鹿馬鹿しく裏悲しい風景である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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