天才歌手・藤圭子の自殺

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 藤圭子自殺の報に接し、いろいろな人がいろいろな事を言っている。
 テレビ番組上での付き合いしか無いが、スタディオの彼女は寡黙でクールに仕事をこなす天才歌手だった。
 クールといっても決して気取って冷淡なのではない。当時の歌謡歌手というのは大袈裟で上から目線の歌い手が多かったが、彼女はいつもニュートラルな若く綺麗な歌い手だった。
「夢は夜ひらく」が発表されたとき、亡き寺山修司が「まさにこの歌は日本歌謡史の金字塔、天才という言葉は藤圭子の為にある。」といって興奮していたことを思い出す。この国の歌謡曲歌手の置かれたポジション、悲しみが伝わってやりきれない、というのだ。
 その彼女が前川清と別れた後、アメリカに転居するといったのは衝撃だった。アメリカには何処を探しても日本の歌謡歌手の生きる場はない。きつと誰かに騙されているのではないか、とも思ったが、間もなくN.Yで結婚し、宇多田ヒカルを出産した。ある時は税関で現金4.900万円を所持していて没収されたり、どこか裏街道に生きる匂いもした。
 歌唱力と歌詞の解釈力に於いて、13億人の恋人と言われたテレサ・テンと似ているところがあった。しなやかな優しさをもつたテレサ・テンはスパイ説や謀殺説にまみれながら、チェンマイで憤死したが、藤圭子もまた男の13階のマンションから飛び降りるという自死を選んだ。
 行きずまりは恋だったのか、生活だったのか判らないが、一時代を築いたスターほど追い込まれる人生の行き止まりだったのだろう。まれに見るこの天才歌手に冥福を捧げる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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