天勝野球団の奇跡と消滅

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 1923年日本で初めてのプロ野球試合が行われた。
 対戦するのは「日本運動協会」VS「天勝野球団」、結果は6対5で天勝野球団の勝利であった。
 多くの人は天勝野球団ってなに? と思われるだろう。
 天勝野球団とは、当時人気の奇術師松旭斎天勝を中心にしたジャグラーの一座だった。美貌の天勝は満天下のファンを引き付けるほどの人気、今で言う日向坂のリーダーといった存在だった。
 レパートリーが凄い、一番の水芸、足芸、曲芸、手品、からシェクスピアのテンペストまで演じるというスーパー一座だった。
 明治座や千歳座などでの興行は歌舞伎の興行を凌ぐ人気だったと言われている。
 がそれにしても「東西トウザイ、只今よりお眼にかけまするは、アレ不思議ロウソクから滝の白糸……水の吹きあがる景色を演じまする女水芸の始まり……」その一座がプロ野球の球団をつくったのだ。読売の巨人、阪神のタイガースといった規模から考えると不思議としか言えない。
 その天勝野球団は、2年後の関東大震災によってあえなくつぶれてしまった。 あの震災によって天勝一座の本部は全焼し、メンバーは辛うじて上野の山に逃げて命をつないだ。明日からの上演も絶望となり、当然ブロ球団も解散してしまったのだ。
 コロナにかぎらず、線状降水帯にやられた熱海にしても、いつ何が起こっても不思議ではない浮世の無常が思われる。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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