大阪入れ墨騒動

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 緋牡丹お竜は藤純子だった。唐獅子牡丹は高倉健だった。
 日本映画の全盛期、入れ墨とともに景気のいい映画会社があった。
 今では身体に入れ墨があると、暴力団構成員とみなされ、銭湯に入れない。プールにも入れない。ゴルフ場でも拒否される。それでも関係者は子分の証しとして、キャンパスに見立てた背中に水滸伝や武者絵をいれる。博徒、火消し、鳶、飛脚なども職業上の必須条件とされ、博徒彫とよばれた。御家人の次男坊、三男坊、浪人などの入れ墨は武者彫といわれ、はぐれ侍の象徴だった。
 刑罰としての入れ墨は、一・ナ・大・犬と進み、五番めは死罪になったそうだ。
 いま秘かにブームなのは、愛にたいする絶対的な証しとして、女性器の周辺に入れ墨をする女性が結構いるというから驚かされる。ハートに始まり、唇、蛇、蜥蜴、歓喜天とエスカレートして行く。ドラッグに嵌まると、性器周辺に入れ墨が入れたくなるらしい。
 大阪市入れ墨職員110人というニュースにも驚いた。橋本市長はこの際だからと教職員17000人の調査もしたかったようだが、市の教育委員会が「人権を傷つける」「プライバシーの侵害」だといって拒否したというのにも呆れた。やれファツションだとか、自己主張だとかいつている非常識野郎がいるが、そんなものは一顧だにする必要はない。アウトロウやその筋の人ならいざしらず、公僕、教員からは、入れ墨ものは即座に追放すべきだろう。毎日新聞が入れ墨擁護論を展開したようだが、多分入れ墨組合の機関紙かもしれない。
 レーザーや切除で、過ちの入れ墨を消すことも簡単とあったが、50万円前後はかかるというから、不況の折覚悟しなければならない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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