軽井沢の大賀ホールが開館10周年を迎えた。
大賀典雄の晩年の道楽によって作られたこのホールは、アナログそのものの古典的なホールである。
照明も音響もバトンも乏しく、現代の芸術表現にはほとんど向いていない。オーケストラのリハーサル・ホールとして、200年前の劇場様式にこだわった古い簡便な劇場空間である。幕も袖もないので、オペラ、バレエ、演劇など上演芸術と呼ばれている多種多様な表現はできない。
軽井沢という田舎のもっている後進性によってのみ、このホールの寄贈をうけ、10年の長きに渡って町民の税金を注入してきた。
この10年に使われた町民の金は、とうに大賀さんの寄付したホールの建設費を超えている。
大賀ファミリーは、軽井沢町という心優しい人々によってこのホールが生き長らえてきたという現実を知るべきだ。いつまでも寄付者という地位に座り、傲慢な態度で私物化するのは許されない。
金は出すが口を出さないというのが、かっての金持ちのルールだったが、近頃は半端な金をだして、盛大に口を出すという下品な金持ちが増えた。
10年たった今、このホールを本当のこの町の人々のためのホールとして、再生するようにしなければならない。
町民が使用するさい、なんの特例もない地域ホールは考えられない。多額の町の金を使っているのだから、町民になんらかのお返しをというのが公共ホールの基本思想だが、このホールにはそうした姿勢が全く見えない。末端の女子職員まで、口を開けば料金料金の金の亡者になっている。
10年前、初めてのホール運営評議会の席で生前の大賀典雄が、このホールは町民の「ガチャ弾き」のためのホールではない、と発言した傲慢さが耳に残っている。
コンマスに支えられた貴方の指揮は、「ガチャ指揮」ではなかったのか。
大賀ホール10年の現実
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す