12月31日…という日は色々の想いが交錯する。
長い間人間を務めていると、なおさらだ。若い頃は、来年こそ、来年こそ、の想いにとらわれていたが、この歳になると、不覚にも今年も無事で、などという当たり前の想いに襲われる。
テレビの現場にいた頃は、今のようにヴィデオという便利なものはなかったので、暮れは年末年始生放送の修羅場だった。大晦日の特別番組は、パトカーが先導して駆けつけるタレントのスケジュールに振り回され、テレビの空しさのなかで働いていた。歳が明ければ、一斉に振袖姿の華やぎに変わる。
映画スターが振袖姿になっても動くカレンダーで面白くない。タレントが化けても面白くないし、女子アナも今ほどにガツガツしていない、それならばと祇園町から芸妓、舞妓の20人を大晦日の夜行列車で上京してもらい、元旦朝のご挨拶「オメデトウさんどす」とスタジオにしつらえたお座敷から放映したこともあった。
ショー・ビジネスの頃は、正月初日に間に合わすため、徹夜続きのリハーサルで、稽古の合間に劇場の屋上にあるお稲荷様にお参りして、お神酒のお裾分け位だった。
フリーになって世界中で仕事をするようになってから、いろいろな大晦日を経験した。
記憶に残っているのは、ヴェネチア・サンマルコ広場の大晦日、思い思いのマスケラをつけた男と女が、酔っ払って広場に繰り込んでくる。シャンパンを手に、其処ら中で歌い、踊り、抱擁を交わしながら石畳でシャンパンを割る。サンマルコの広場すべてにシャンパンの香りが立ち、瓶のガラスだらけになる。その喧噪のなかでいつまでも唇をかわしている男女、そこだけに時間が止まっていた。
タイムズ・スクエアのカウント・ダウンでは、光のボールの降下とともに傍にいる女性とキスをしなければならずエイズの恐怖に襲われた。ラスヴェガスのボールルームでは、ジャスト12時に一斉に身に付けているものなにかしらを中空に投げ、キスを交わす。ネックレスや帽子やハイヒールあらゆるものが、天の神に捧げられて、朝まで踊り狂っていた。
大晦日のカウント・ダウン
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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