大文字・五山の送り火とは

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 絽の黒紋付きで御茶屋やご贔屓を挨拶廻りする「八朔」が終わると、まもなくやってくるのが、8月16日の「五山の送り火」である。
     20時・東山如意ケ嶽・「大文字」……胡麻木受付/銀閣寺門前
     20時05分・松ヶ崎・西山、東山・「妙法」
     20時10分・西賀茂船山・「船形万灯篭」
     20時15分・大北山・「左大文字」……胡麻木受付/金閣寺門前
     20時20分・北嵯峨水尾山・「鳥居形」……胡麻木受付/化野念仏寺
 近所の屋上のビアホールから見て、今日は晴れてて良かったというのも一興だが、胡麻木を納めて願いをこめ、それぞれの火床で焚き上げてもらうのもいい。
 京都の町では、送り火に着火したとき、ネオン、屋外灯、広告灯などすべて消して祖霊の無事に帰るのを見守る。
                                                                  古来、送り火の消炭は疾病除け、魔除けに効くと伝えられ、器に注いだ水に送り火を映して飲めば、中風にかからないと信じられてきた。祖先の御霊を信じて、現世に生きるという信仰心は何時の間にか、失われてしまった。葬式も墓もいらない現代で、イベント化した送り火だけが生きているというのも皮肉なことだ。
 大文字の麓、旧浄土寺村では念仏踊りを、松ヶ崎では題目踊りを、船形の西芳寺では六斎念仏が躍られ、送り火に限らない祖霊祭事がともに開かれている。こうした盆行事に参加することによって、日本人の世界観が肌を通して判ってくる。
ちなみに送り火の間、ドローンによる撮影は禁止される。            


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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