大寒の水について

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 今日は「大寒の日」である。いつの頃からか、大寒の水を取り替えるのは筆者の役割となっている。 押し入れの片隅に三本の一升瓶が並んでいる。瓶は毎年の水入れ替えが無事なされたというラベルでいっぱいになっている。
  第一の瓶は天皇家御用の酒「惣花」、第二の瓶は表千家御用の酒「松の翠」そして第三の瓶は「ほしのの酒」である。この三つの器に入れられた古い水をすて、大寒の日の新しい水に替えなければならない。この寒の水の信仰は相方が京都からもってきたので、30年の年月が経っている。丁度この頃は、初釜の頃とぶつかっているので、遠いかの地から「今日は大寒の日だから」とか「大寒はやっぱり寒い」とか水入れ替えを示唆する電話が度々かかってくる。
 そもそも寒の水の信仰は、田の湧き水や清玲な川の水、あるいは地下を流れる井戸水にかかわることなので、水道水の寒の水では全く効果なしとも思えるが、うっかりそんなことを言おうものなら大騒ぎになるので、口を謹んで寒の水の習俗に従っている。
  古来、小寒から寒の終わりまでのこの間の水は、雑菌が少なく、腐らないので、汲み置きをして味噌、醤油の作り水にしたり、お酒つくりにつかったといわれる。なかでも寒に入って9日目の寒九の水には霊力があるので薬と共に飲む服用水としてこれほど有難いものはない、と言われて来た。修験者が滝行で水に打たれるのも、この寒の水にあたるのがもっとも霊験あらたかといわれてきたからだ。
 下町では、この日「寒卵」を近所に配った。寒の日に生まれた卵は薬になり、邪気を払うといわれて、ざるに入った卵にお社の手拭をかけ、日頃お世話になっている町内のお家にとどけたものだ。
 帰りのざるにはマッチがひとつ入っていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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