大家さんと僕

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 「大家さんと僕」という漫画が評判になっている。作者はお笑いの矢部太郎さんだ。
漫画はほとんど読んだことがないので、知らなかったが、新潮社が毎月届けてくれている芸術新潮の付録としてついてきて初めて知った。
大家さんって誰? ってきいても今時の若者には通用しないだろう。せいぜいAKB48にいるクイズに強い女の子ぐらいの反応だと思う。
 僕らの世代なら一度は大家さんとつきあったことがある。学生時代かもしれないし、社会にでて就職一年生の頃、あのころはまだ秀和レジデンスもなく、入り口の左側に大家さんがすんでいるとか、一階に大家さんがいて、二階の一間に下宿するとか、そんな住宅事情だった。
マンションが無かったのだから、二階建てのアパートは理想的な都会生活への第一歩だった。
 この漫画はむかし風の四コマ漫画の形式で書かれた大家さんと僕の交遊録ともいうべきエッセイ漫画である。長い顔の僕と、頭が大きく背の低い大家さんが実に微笑ましく、大家さんとの親子のような関係、面白いにちょっと切ない、ちょっと悲しいのに面白い、心がほっこりする漫画なのだ。
 大家さんとひとつ屋根の下に暮らす生活が始まりました。いってらっしゃい。一軒家のためか大家さんとの距離感がとても近く洗濯物を干していたら、大家さんがブブブ ブブブ、雨が降り出しましたよ矢部さん、は、はい……とお電話くださったり、 帰宅が朝になった時には、ひいっ、夜露に洗濯物がぬれてましたよ。と早起きの大家さんにお会いしてしまい……二階のドアを開けると、ひいっ、洗濯物が勝手に部屋にはいって畳まれているんです。…
 さしずめストーカーといったところだが、あの頃の大家さんには一点の曇りもなく、店子のことをおもっての差し出がましい親切だった。
 部屋に帰ったらキレイに掃除され洗濯物が取り込まれ、大家さんの旅行のお土産饅頭などがきちんと食卓に鎮座されていたこともあった。大家さんとの出会いは社会生活の第一歩だった。
 矢部太郎さんが第22回の手塚治虫文化賞を受賞して、まもなく大家さんはあの世に旅立たれてしまった。大家さんとの交流から生まれたこの漫画の行く末も心配だが、大家さんの居なくなってしまったアパートは、まもなく更地になり、立派なマンションに変わって、駅前の不動産やさんの車がベンツになって一巻の終りという結末だけは避けたいと思う。
 大家さんと僕が出会う前も僕はしあわせでした。でも大家さんと出会って僕はしあわせになりました。 矢部太郎


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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