大学は出たけれど・中国版

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 今世紀に入って急速に拡大した中国の大学卒業生数と、企業の必要とする大卒労働数とのミスマッチが社会問題となり、あちこちに摩擦が起きている。
 世界第二位の経済大国になったとはいえ、まだまだその多くは世界の下請け工場としての単純労働が多く、大卒の修士労働とよばれるインテリ層を必要とする仕事は少ない。
 2009年来すでに雇用は大氷河期を迎え、ワーキング・プアの群れが大都市に溢れている。
 ひとつは「蟻族」とよばれ、いつか花を咲かせようと根拠のない期待で郊外のシェアハウスで日々を送るプータロー達。大学は出たけれど、夜のゴミ拾いをして暮らしている人たちが北京だけで10万人、全国で100万人いるといわれる。いい職場と高収入を期待して大学をでた不幸な人々は修士蟻族と呼ばれている。
 蟻族よりも更に悲惨なのは「鼠族」、ネズミのように地下で暮らす失業者たちだ。地上の住宅は高すぎて手がでない。止む終えず地下のマッチ箱のような空間で暮らす。部屋はベット一つでいっぱいになるので、昼労働と夜労働の二人ひと組で借り、ひとつのベツトを昼夜交代で使うというから凄まじい。
 2025年には人口14億人でピークアウト、中国も高齢化が加速し安い労働力で、世界の製造工場として繁栄した時代はまもなく終わりを告げる。
 「裸官」と呼ばれている高級官僚たちは、すでに家族を海外に移住させ、国内にはなにも置いてないシロアリ一族なのだ。日本も中国も官僚たちの手回しのよさにはびつくりする。 改革開放以来80万人の学生が海外留学したが、そのうち帰国したのは20万人足らず、政治体制への不満や不安が、青年たちの眼を海外に向けさせる。かくて世界の隅々までチャイナ・タウンが増殖していくのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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