大原孫三郎の遺産・くらしき

by

in

 倉敷の町と対峙したとき、大原孫三郎という優れた企業家のことを想わずにいられない。
 功利を求めず、公益に資する事業、銀行であり、鉄道であり、繊維を起業した稀にみる実業家だった。
 ダイナマイトという物騒なもので財をなしたノーベルなどよりも、ずっと優れた経済人だったといえる。
 その上、彼は文化に対する理解に優れていた。昭和の初期、モネ、ゴーギャン、エル・グレコ、マティス、
ピカソなど西洋美術の一流品を収集した。
 また彼の素晴らしいところは、西洋一辺倒ではなかったところだ。同時代の日本の作家たちにも眼を向けた。 浜田庄司、富本憲吉、河井寛次郎らの陶芸、、棟方志功の版画、芹沢銈介の型染など、日本民芸運動の中核を担う作家たちを応援した。西洋だけでなく日本への美意識をもっていたというところが素晴らしい。
 軽井沢にも某財界人が寄付したくれたホールがあるが、自分の道楽だけのための劇場で、町の音楽愛好家には使わせないという、無教養な悲しいホールだ。
 大原孫三郎はすべて倉敷と日本のためにという財界人であり、文化人だった。 大原美術館の中庭にたった外国人は、あまりの美しさにみな溜息をつく。白壁の美しさにくわえ、紅なまこ壁のアクセント、平瓦の素晴らしさに、日本の清潔にしてアートな建築美にノックアウトされる。
 この清々しい空気が町中に広がって倉敷の町をつくる。ニューヨークのMOMA近代美術館設立に遅れること僅か1年にして、この大原美術館をつくったのは、国家ではなく大原孫三郎というひとりの事業家だつた。
大原孫三郎の遺産・くらしき


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ