パリのそれは全く違う。
キャバレーといっているが、日本風にいえばショウ劇場だ。従ってオネェサンは横に付かない。そうしたサービスの欲しい人は、覚悟の上ピガールの裏町あたり、薄暗いショウパブにいくしかない。
さてパリの夜の殿堂といえば、シャンゼリゼーにあるリド、モンマルトルのブロンシェにあるムーラン・ルージュ、そしてジョルジュ・サンクにあるクレージーホース、この三つのキャバレーにとどめを指す。
3大オッパイ・ショーと呼ぶ不届き者もいるが、それぞれで踊る女性たちはかなり個性的でもある。
フランス娘は闊達で御し難いと考えたリドのオーナーは、固く躾けられたイギリスの田舎娘と、背が高すぎてバレエには向かないと宣言された芸術思考の娘たちを中心に70人の「ブルーベル・ガール」を編成した。身長は最低で175センチ、平均180センチの大女を揃えたレビュウ。
フランス革命100年祭の年、カンカンを売り物に華々しく開場したのは、赤い風車のムーランルージュ、踊り子たちは165センチ平均、元気で開けたフランス娘を集め、60人規模の「ドリス・ガール」でスタートした。ロートレックが通い詰め、スターをモデルにポスターを描いたことから、火が点いてパリの顔となった。テーマのスカートをたくしあげヒラヒラパンツを見せながら踊るフレンチ・カンカンは、熱狂的な評判を呼びつい最近まで踊り子それぞれのペットネーム、つまりBeBe、KiKi、MiMiなどの名前入りのガーター・ベルトがお土産として飛ぶように売れていた。
裸の芸術をスローガンとしたクレージーホースは、僅か16人の踊り子だが、魅力的でグラマラスな肉体の持ち主として見事な存在感を誇っている。
リドの女はつまらない。クレージホースは取扱いが難しい、乱暴な夜は厳禁。恋人にするならムーランルージュのフランス娘に限る。というのが、パリの踊り子好きの定説のようだ。
因みに筆者は1960年のムーランルージュで、一年間仕事をしていた。
夜の宝石たち・さまざま
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す