橋下徹の大阪都戦争はあえなく敗北に終わった。大阪都になった場合のイメージ確立に失敗したのだ。
自民から共産党までが、幅広く手をつないで反橋本戦線を結成したのだから、もっと大差をつけるとおもっていたが、票差は僅か一万票、それもNHKの出口調査によれば、反対派はほとんどが高齢者層、橋本支持は圧倒的に若年層が多かったという現実がある。
明日を担う若年層が圧倒的に支持した大阪都構想か、それとも既得権益に固執した老年層の保守主義かという問題なのだ。
ここには熟議するという賢人思想がない。
ここで注目されたのが、住民投票という多数決の原理だった。もともとこの国は間接制民主主義であって、直接民主主義はとっていない。大阪都問題で住民投票を実施したのは、果たして正しかったかという問題が残る。
中東の宗教戦争はみな多数決のよじれによる民族闘争の悲惨さを迎えている。
沖縄辺野古問題も、第二次世界大戦の事後処理と中国韓国の領土拡張志向をまえに、無残な議論に陥っている。
多数が賢人であれば何の問題もないが、多数が愚人であり、B層と呼ばれるメディアに騙されやすい人々であっては、多数決の原理ほど危険なものはない。
多数決に頼っていてこの国は護れるか、という議論だ。多数決の横暴はやがて独裁制への待望論につながる。
多数決は正しいか
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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