このところ舞台での事故、収録現場でのトラブルがめっきり増えたような気がする。
「ワイルドだろ~」のスギちゃんは、プール高飛び込みで胸椎破裂骨折の重傷を負った。
歌舞伎の市川染五郎は、国立劇場のセリに転落して、血の海をつくり、一時は死を覚悟したという。
このふたつの事例に共通するのは、主役がいづれも多忙を極めていたことだ。
染五郎は新橋演舞場の公演を控え、松本流の家元公演とのかけもちで大変だった。父幸四郎の古希の祝いと秀山会とにはさまれて充分稽古も出来なかっただろうことは、容易に想像できる。
今回に限らず歌舞伎座や国立劇場の舞踊公演は、興行の千秋楽から次の初日のあいだに無理を重ねてスケジュールをとるため、満足な舞台稽古ができない。そのため何時事故が起こっても不思議ではない。オペラならば3日かけてやるところを、僅か半日でやろうとするのだから、よほど優秀な舞台監督がいなければならない。
イベントやテレビのフロア・ディレクター、ないしアシスタント・ディレクターも、かっては映画の助監督や舞台監督からメソードが来ていたので、それなりに優秀だった。
が近年のお笑いやイベントばやりでは、全くスタッフが育たない。大道具をチエックし、出道具、小道具、衣裳を確認し、出演者へのキューから、照明、音響への連絡、舞台転換の間合い、緞帳の上げ下げ、すべてのコントロールが出来てこその舞台監督なのだ。ましてやセリやスッポンの使用にたいしては全方向に神経を使う。観客の前に姿をさらさず、120%のステーヂ・マネージメントが要求される。
軽井沢に劇場はあっても舞台監督がいない。多くは結婚式の進行ぐらいで舞台監督かできると感違いしている。 スタッフの劣化が作品の劣化を誘っている。
多忙へのおごり・舞台監督は何処へいった
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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