夕陽とジーンズの聖地・児島

by

in

 21世紀のファッションはジーンズであった。ジーンズは世界のファッションを支配した。後世のファッション史には、必ずそう書かれるだろう。
 世紀を支配するファッションは、青山にも代官山にもない。そこにあるファッションは僅か半年、時代に注目される短い流行であり、儚い夢の衣服だ。生活全体を彩り、ライフスタイルに強烈な影響を及ぼしたものは、強靭なデニムを素材に作られたジーンズである。
 瀬戸大橋を望むここ児島は、日本のジーンズの聖地と呼ばれている。世界のジーンズ・メーカーはみなこの児島に足を運ぶ。素材から染め、縫製、洗い、仕上げ加工のすべてが揃っているのは、ここしかないからだ。
 戦前はここから見える海に見渡す限りの塩田がひろがっていた。その塩分が土をうるわし、綿花の栽培が、盛んだった。その綿花から、真田紐を創り、帆布を編み、足袋を造って町は繁栄してきた。が戦争はこの町の運命をもかえてしまった。
 町が生きていくためのなにかを模索していたときに、ジーンズに出会った。厚い布地を縫うミシンもなく、悪戦苦闘の末、1973年に初めて「児島のジーンズ」が生まれた。
 そして40年後の今、児島は世界の児島になり、海外からの発注も相次ぎ、デニム・バレーと呼ばれるようになった。いま児島には、ジーンズ・ミュージアムがあり、ジーンズ・ストリートがあり、ジーンズ・フェスティバルが開かれ、目貫通りには、色々なジーンズが吊るされている。
 児島は21世紀ファッションの聖地になった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ