テレビ時代の友人富永孝子さんから、琥珀糖のお菓子が送られてきた。
今は亡き向田邦子さんが大好きだった永樂屋のお菓子だ。琥珀糖は爽やかな夏をはこんでくる。季節のお菓子を称するものは多々あるが、見た目が爽やかで、食感もよく、口どけまで涼しい夏を届けてくれるのは琥珀糖のお菓子に限る。
京都の菓子屋で琥珀糖にちからを入れているのは、鶴屋吉信さんだ。
打ち水に苔が青々と息ずく様を「青苔」という菓子にしつらえた。名前は裏千家の千玄室さんが付けられたという。清涼感たっぷりに見た目にも爽やかで点茶にふさわしい小さなお菓子である。
IRODORIという若いセンスの琥珀糖のバーもある。六つのバーが並んでいるが、それぞれの彩りは、朝日、夕陽、晴天、晴朗、夜の帳、夜の空を淡く表現された琥珀糖のお菓子、オシャレな感覚で琥珀糖を生かし、京都八条口の限定になっている。
北陸の文化集積処、金澤にも琥珀糖のお菓子はある。「かいちん」という。
一瞬意味不明だが、金澤では昔から子供たちの遊び道具、おはじきのことを「かいちん」といったそうだ。花や動物たちのいろいろをかり、シャリッとした食感とゼリーが美味しい。石川屋さんがつくっている。
わが家の涼菓ベストテンは、京都堺町三条上がる亀屋則克さんの「浜土産(はまづと)」である。
蛤のいくつかが桧葉に包まれ網笠に入って届けられる。蛤を開けるといつぱいの琥珀糖に浜納豆が一粒、冷やしていただくと浜風のシアワセが吹いてくる。殻のなめらかな方へ爪を入れて開き、空いた殻ですくっていただくと楽しい。
むかし蛤は大きかったが、歳月とともになんとなくこぶりになって来たのが、気になる。
こんなところにも地球の危うさが響いて悲しい。
夏菓子は琥珀糖にかぎる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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