自動車ショーに行かなくなってもう30年もたつだろうか。
戦後はじめての自動車ショーは日比谷公園だった。のち築地から晴海そして幕張へと移って、いつの頃からか、モーター・ショーの文字を見ても興奮を呼ばなくなってしまった。海外のクルマのカッコ良さに憧れ、クルマの横にたってニッコリと笑美を振りまくモデルが話題を呼んだこともあった。
お尻の下がったフランス・デザインのブルーバードで満足していた頃、ラスベガスに所用あり、空港まで迎えに来てくれるということになった。
金髪娘の迎えをうけ、クルマを持ってきているからという誘いに従って空港ビルの外へ出た。そこに止まっていたのは真っ白いキャデラックのオープン・カーだった。ライト周りとバンバーは金で彩られている。白いレザーシートはこの上なく快適だが落ち着かなかった。金髪娘の運転で空港を離れるまで、さらし者になったようで、白いキャデラックは貧乏人に似合わない、そんな教訓をえた旅だった。
スーパー・ツルヤ、18号線、プリンス・ショッピングセンター、夏のこの三か所は、モーター・ショー状態である。幕張の会場にいかなくともこの三か所で大抵の新車にあえる。ポルシェの新型から、いかにものベントレー、懐かしのキャデラツク、可愛いミニクーパー、ドイツのタクシー・ベンツからEVのアウディまで、次々と走ってくる。森の小径からいきなりハマーが出てきた時は、ゴジラに出会ったような衝撃をうけた。
軽井沢の土地の人たちに圧倒的に支持されているのは、国産の軽、または軽トラである。最近の軽は顔付もよくなり、衣裳もオシャレになってさすが日本製のレベルに相応しい性能をもつようになった。
軽トラに楽器をつんで練習場に足をはこぶ友人がいるのが、軽井沢の嬉しいとこである。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す