夏の軽井沢に棲む魔物

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 ようやく碓井軽井沢の案内標識が見えてきた。そろそろ左側によつていないと高速道出口にアクセスし損なう。スピードを落とし、左側の列に入ったが、なかなか前に進めない。少しずつ少しずつ前の車について動くが、どうしたことか事故でも起きたかな、と思うくらいのスロースローで進む。
 我慢も限界に近ずいた頃、やっと軽井沢ICを出た、やれやれと思う間もなく次の渋滞が待ち構えていた。
 ひとつ手前の松井田妙義で高速を降り、碓氷峠は下の道を走ったほうが早いよ、といつか聞いた先輩の言葉を思い出す。ICから小さな坂を登り、ぐるりと曲がってゴルフ伯父さんのラブホと呼ばれている浅間プリンスホテルの入り口あたりを通過するのに20分程もかかる。
 広大なゴルフ練習場を右にみるころには、トイレに行きたくなってきた。この生理現象には勝てない。左側にローソンが見えてきた。満車のパーキングに無理やり突っ込み、店内に駆け込む。恥ずかしいなどとは言っていられない。用を足しようやく平静さを取り戻す。あまり読みたくもない本を一冊買って、トイレ借用の御礼とする。
 さてここからは直線コースの南軽井沢だが、セブン・ツーの辺り全くクルマは動いていない。道は駐車場状態になっている。大変だと左へ曲がり、レークニュータウンをめざした。風越をまわり、18号バイパスへでたころには、予定の時間を2時間もオーバー、これからは後一息とケイタイで、遅れたお詫びとまもなくの電話を入れる。が現実は更に厳しかった。
 塩沢から中学校に抜けるグルメ通りは通行止状態、それならばとスーパー・つるやの角まで走ったが右折して中軽井沢への道もいっぱい、結局次の鳥井原まで行って右折した。直進し中部小入口から上の原を回ってやっと旧プリンス通りへ出た。目指す千が滝はもう直ぐそこやっと軽井沢へついたと、安心したのが運のつき、横合いから突然に貴婦人の運転するベンツが飛び出した。愛車は無残にもコスラレタ。
 夫人は全く悪びれることなく、こっちを睨みつける。そうだ夏の軽井沢でいちばん怖いのはオバベンつまりおばさんの運転するベンツ、という教訓を思い出した。…夏の軽井沢には魔物が棲んでいる。
 この夏、我が友人軽井沢紀行のお話。
 夏の軽井沢には魔物が住んでいる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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