夏の切り札・ひんやり

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 夏といえば、ハワイ、沖縄が定番だったが、ハワイは芸能人の正月に奪われ、沖縄はオスプレー墜落の恐怖に関心をさらわれ、夏休みの話題はすつかり隅においやられている。
 電力不足でクーラーもままならず、とりあえず身の回りのクールダウン・グッズに、目線が集まっている。キーワードは「ひんやり」、ひんやりを付けさえすれば、なんとか夏を乗り切れそうと言う悲しい商戦だ。
 別荘の小道を朝から歩いているのは、ひんやりタオルを首に巻き、ひんやりキャップをかぶつているシルバー伯父さん、後ろから犬を連れての奥様は、ひんやり傘にひんやり香水、ひんやりハンカチで汗を拭う。
 町で眼につくのは、ひんやりラーメン、ひんやりスパ、氷のうえにスパゲッティがのっているのだろうか。風が通ってひんやり涼しい喫茶店です、のよこに原発反対と書いてあったのには、店主の心意気がよめる。毎週金曜日には首相官邸までいって、あじさい革命に参加しているのかもしれない。
 自民政権最後の頃、暑い夏を乗り切るファッションとして、クールビズを提唱し、デパートが一斉にクールファッションを売り出していたことがあったが、今頃はどうなつているのだろう。羽田元首相二世が半袖のスーツなど着てでてくるとすこし嫌味だし、沖縄へいくアマチュア大臣がきるカリユシ・ルツクも素直には見ていられない。相手に媚びたキャバクラ嬢の一金3890円のドレスに通じる安易な思想が見えてしまう。
 サーモグラフィーの実験結果までみせて、ひんやり度30%増量と叫んでいるテレビのふとんやには思わずご苦労様と呟いてしまう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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