売れる芸人・消える芸人

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 「これで大丈夫やろか?」「僕らが一発の力を信じないでどうします」一発屋芸人同士の会話だ。
 よしもと、サンミュージック、松竹芸能、渡辺プロ、と毎年何百人の芸人が製造され、消えていく。一発でも当たればいい方で、多くの芸人予備軍は無駄にした青春の時とともに消えていく。一発あたれば、その年一年ぐらいは持つので、テレビ局も使う。正確にいえば、テレビ局が使うのではなく、下請けの制作会社が使う。当たった当座は、ギャラも安く人気が出ているので、とても使い勝手がいい。つまり費用対効果に優れている、という訳だ。
 毎年、キイ局から制作費を削られ、無理難題を言われても、下請けとしては番組を作り続けなければ、潰れてしまう。スターになった一発屋は当然のごとく、ギャラのアップを要求してくる。そこで下請けの手段は、次の芸人を探すことになる。ギャラの上がった一発屋と心中する義理はない。かくして一発屋は儚く消えていく。
 自分を持ち、聞く耳をもつものが最後に残る。とにかく豆で素質ある芸人、努力を惜しまず、先輩に近づき先輩に鍛えられながら、自己形成していく。得意ジャンルを持ち、スペシャリストであることが、生き残る最低条件だと言われる。
 更に今時の観客はヴィジュアルに慣れているので、笑いを聴かせるのではなく、笑いを見せることが必要条件になっている。時代の趣味を敏感に読み取り、衣装を含めた笑いの芸を確立したものだけが、生き残る芸人になれるのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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