売れない薬・売れる薬の政治事情

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 「ファイト一発! リポビタンA」「湧き上がる元気! ニンニクの力」「今、その疲れに速攻一本! ユンケル黄帝液」そうしたテレビCMがあふれていた時代があった。がいつのまにかそうしたガンバレCMは、テレビという舞台から姿を消した。
 売上げを減らしたベスト・1とベスト・4がドリンク剤、ミニドリンク剤だそうだ。胃腸薬も売上減のワースト2にはいっている。
そして売上減の第五位は、ビタミンE 剤だという。これだけで販売総額は約1800億円に達する。
 市場規模1兆円のうちの2000億だから馬鹿にならない。
 日本人は頑張らなくなった。働かなくなった、その結果がここにでている。安倍内閣の働き方改革がみごとに大衆薬の販売実績に反映されている。財布もだいぶ軽くなって暴飲暴食もしなくなったので、胃腸薬も売れなくなった。
 売上げを伸ばしてる大衆薬もある。第一位は漢方薬、メタボのための「ナイシトール」など、名前が西洋渡りのイメージなので漢方薬だということを見逃す。富山の製薬メーカーは、圧倒的に漢方薬なのだが、ちかごろは皆オシャレなカタカナ文字の名前にしているため一般人にはわからない。
 二位が目薬、三位が鼻炎治療薬というから、花粉症の被害が如何に多いかということだ。半世紀前農林省の役人の無知に始まった植林が今日の花粉症ブームをもたらした。
 ヨーロッパのように花粉の少ない杉を植えておけば、こんにちのような悲惨なことにはならなかった筈が、目先の簡便さにひっぱられて植林した結果が、こんにちの花粉症王国をつくりだした。
 薬の情報は日経新聞・塚越慎哉さんに伺ったのだが、スイッチOTCのこと、或いはセルフ・メディケーションのこと、この国の医療行政にはまだまだ深い闇があるような気がした。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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