堕落したブロードウェイ。

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 アメリカン・ドリームの終点はハリウッドとブロード・ウェイだつた。白人のはみ出し者や、不遇な黒人たち、社会的に受け入れられないプア・ホワイトにとって、ブロードウェイがあるということが、どれだけ励みになってきたことか。黒人ゲットーにあるダンス・スタジオは今でもそうした夢を追う若者たちで溢れている。
 ブロードウェイは何時も社会に対して発言してきた。戦後いち早く登場した「ウェストサイド・ストーリー」は、大都市に潜む差別を見事にあぶりだし、対立のなかの愛を描いた。ベトナム戦争の泥沼に苦しむアメリカ社会に自然復帰をうながしたのは、「ヘア」だつた。「オー・カルカツタ」は虚飾にまみれた人間を素裸にし、現代に於ける肉体賛歌の先駆けとなった。とくにオフ・ブロードウェイのエネルギーは混乱と汚毒のなかで、「ゴッドスペル」や、「タツチ」の名作を生んだ。
 が80年代のキャッツあたりから、90年代ディズニーの舞台進出によって、ブロードウェイは全く変わってしまったと嘆くニューヨーカーが多い。それまでエンジェルと呼ばれるミュージカル好きの投資家によって支えられてきたブロードウェイが、大資本の金儲けのツールに変わってしまい、地方公演を通して舞台づくりを重ね、ニューヨーク・タイムスの演劇評を頼りに情熱をつぎ込んできたブロードウェイのシステムが根本から壊されてしまった。
 「ライオン・キング」「ターザン」「美女と野獣」「アイーダ」「メリー・ポピンズ」とくれば、映画と連動した金儲けのディズニー・システムが丸見えだし、人畜無害、ご家族向けの底の浅いディズニーによるミュージカル製作は、心ある大人たちにとって大変迷惑なことだ。そのディズニー作品を追っかけて日本でやっている四季も同時に10近い興行を展開し、中国人を大量に投入し役者の名前を拭って観客を集め、見事にミュージカルを金儲けのツールにしている。
 アメリカも日本も、舞台は商業主義に占領され、文学を失ってしまった。堕落の坂を転げ落ちたテレビのあとを追いかけるのか。
  


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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