坂田藤十郎を偲ぶ会

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 筆者が初めて歌舞伎に興味をもったのは、戦後まもなくの武智歌舞伎だった。
 武智鉄二は丸本の解釈を深化させ、原典のテキストに立ち返って、型の古さ・新しさを論じ、さらに役者の発声にまで演出を拡大していた。
 その武智の舞台でもっとも期待され輝いていたのが、亡くなられた藤十郎さん、当時の中村扇雀だった。
 扇雀さんは、そのひたむきな情熱と若さに相応しい容姿で、歌舞伎好きの観客の魂を奪った。第二次世界大戦後、永くマッカーサーの管理下にあった歌舞伎に革新と反逆の旗を打ち立てた、はじめての若き歌舞伎役者だった。
 「夕鶴」や「月に憑かれたピエロ」など古典を生かし、時代の先端を表現したあの舞台を、今の若手に見せたい。武智鉄二を信じて、舞台に立った中村扇雀ともう一人の坂東鶴之助によって、歌舞伎の明日は大きな期待にみちた。扇雀さんの勉強ぶりは、舞台に昇華し、ファンを熱狂に導いた。
 のちの「近松座」の結成、さらに元禄の名跡「坂田藤十郎」襲名、道はすべて武智鉄二との出逢いにあったと信じている。
藤十郎いま.jpg
 晩年丸くなった藤十郎さん、祇園町での艶ばなしなどで話題になったが、芸はますますの円熟を加え、歌舞伎になくてはならない大黒柱、コロナの最中、昨年の11月12日に泉下に旅立たれた。
 令和3年10月28日、「坂田藤十郎偲ぶ会」がオークラ東京で喪ようされた。 合掌 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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