東京の山登りと言えば、多くの人は高尾山をさすが、そんな遠くにいかなくとも山手線のなかで山登りはできる。
目黒から五反田、品川にかけての山手線内に、城南五山と呼ばれる江戸から明治にかけて文化の香りを遺している山がある。
御殿山、八ッ山、島津山、池田山、花房山……城南五山と呼ばれている小さな山々だ。そこは田園調布、自由が丘、成城、松濤、見附などが憧れの住宅地として登場する以前の、東京の高級住宅地であった。武蔵野台地が東京湾に張り出したちいさな台地こそ、殿様や高級官僚ゃ財界人が眼をつけて贅を費やした山だった。
「御殿山」とは徳川将軍家の御殿があったことに由来している。。目の前に東京湾を望み、桜の名所でもあった御殿山は三代将軍家光がことのほか気に入り、頻繁に訪れていたと伝えられる。
嘉永6年のペリー来航で慌てた幕府はこの山を削り品川沖にお台場をつくった。広重名所江戸百景御殿やまの絵に削り取られた御殿山の悲しさがのこっている。 御殿山公園の煉瓦で組まれた人工滝は一見の価値がある。
「八ッ山」には明治の元勲伊藤博文邸があった。江戸城の普請、とくにお濠の整備に使われたのが、八ッ山の土だったといわれる。
「池田山」は岡山藩主池田公の下屋敷で、そこにある池田山公園の池はパワースポットとして都市伝説に登場する。
「島津山」には鹿鳴館やニコライ堂を建てた英国人建築家コンドルによる旧島津家本邸ルネッサンス様式の素晴らしい建築がある。現在は清泉女子大学の施設となり、春秋二回見学ツアーが催されている。
「花房山」はかの本能寺で散った森蘭丸の出自である播磨の国三日月藩森家の上屋敷があった。目黒川を見下ろしている。
たまには忘れられた東京の城南五山を巡るのも一興かもしれない。地図にない東京の小さな山である。
コメント
1件のフィードバック
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東京在住の方々でも、この五山について語る人はそういないでしょう。巡ってみたい衝動に刈られます。いいお話をお教えただきました。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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