地上波のテレビは終わったという声が高い。
ニュースひとつとっても、情報連絡だけで、その情報の原因をつきとめるとか、責任をつくとか、そういった姿勢はない。予定調和ばかりで上っ面を撫でて番組をおわる。それならばネット・ニュースで十二分なのだ。
なかには、ネットのニュース・ランキングを紹介しておわりという地上波ニュースも存在するが、そんな自虐的な番組作りをしなくともいいだろう。少しまえのテレビには、その日の新聞を広げて、ニュースをつたえる番組もあったが、いずれもニュースにたいする主体的な製作姿勢がまったくみられないという特質がある。
なかにはフルダチのごとく、早口だけで番組が成立するといった恐るべきカン違いもある。中途半端なタレントを並べても誰も関心をもたない。
バラェティにしても、バブル崩壊の助っ人として関西から登場したが、予算削減の役割りはおわり、いまやクイズ番組やら旅番組、グルメ番組のツマになっていることが多く、本来のお笑いとはほとんど関係のない場所で仕事をしている。がテレビの場に下品な言葉や、下品な趣味、とくに衣裳において圧倒的に下品な感性をもちこんだ功績はある。関西系お笑いの品のない衣裳になれてしまうと、ジャニーズ系の趣味の悪い芸人衣裳が気にならなくなるという効能はある。
ドラマにしても、視聴者の関心は役者よりテーマに移っている。役者を売り込んでも誰も見ない。昨年の傾向をみても、契約結婚と若者の実態だったり、不動産屋で働く女子エリートのゴーだったり、校閲ガールの裏表 とかっての人情噺とはまったく違うところに視聴者の関心は移っている。ミステリーにしても登場する刑事の人情噺はいらない。主役となる相棒がどんな生活をしてるかは見たくないのだ。ひたすら犯罪の核心に迫ってくれればいい。
娯楽も情報も、地上波テレビより、ネットで見る時代になってきた。
そうした面からAMEBA テレビの展開は正しいのだが、まま地上波コンテンツの作り方が入り込んでいるところが残念だ。スタッフの頭が切り替わっていない。あなた達が今まで作って来たやりかたは、完全にあきられているのだ。
地上波からネツト時代へ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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