葬式を盛大に、という日本人はこの所非常に少なくなったような気がする。
友人たちの野辺の送りでも、99パーセントが家族葬で済ませました。という連絡が後からくる。コロナを挟んで、所詮命の重さとはそんなもの、死んでしまえばその後は記憶にいつまで残るか、という程度であって生前は生前、死後は死後とリアルな死生観がふえたのだろう。
フランスでもコロナ以後死に対する意識が急速に変化してきたと、伝えられている。欧米の映画などでみかける伝統的な土葬に対するこだわりがうすれ、個人の墓を確保し立派な棺に遺体をいれ、みんなで土に埋めて祈りを捧げるといった、葬式はいらない、というファミリーが年々増えている。
昨年はついに火葬の割合が40%にのぼった。
ショパンのお墓はこれ、ボーボワールとサルトルはここ、といった個人の墓に全くこだわらなくなってきた。エミール・ゾラ、ニジンスキーの眠るモンマルトルの墓地、ボードレール、ザッキンの眠るモンパルナスの墓地、ピアフ、オスカーワイルドの眠るペール・ラシェーズの墓地、歴史に生きてきた先輩たちの墓のまえで時の流れを考えたい、というのは昔の事になってしまうのかもしれない。土葬でそこに埋葬されているというのはお骨で先祖代々というのとは全く違う。サルトルの実存哲学がそのままそこに埋められているという重みがあるし、後から無理矢理その墓に入ってきたボーボワールとの愛のもつれまで考えさせてくれる。
日本の先祖代々、骨壺いっぱいとは全く異なる死生観がそこに生きていた。
かってコレラの猖獗で四人のうち三人まで亡くなった時、ルネッサンスが起きたといわれているが、やはりコロナの災難によって文化の大変動、が現実のものとなってきたのだろうか。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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