国立劇場の45年

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 旧ロシア革命50周年のとしに、芸術代表の一人として招待された。革命記念日の赤い広場のパレードには、出席しなければならないが、そのあと一か月近く自由にロシア国内をご覧ください、という願ってもない招待だった。テレビ局、映画撮影所、ボリショイ劇場、ロメン・ジプシー劇場、チャイコフスキー記念音楽堂、整形美容院、スポーツ宮殿、結婚宮殿など、いささか興味あるところをすべてみてきた。
 文化芸術関係のパーティに臨んだが、ロシア側高官の曰く、「一昨年、日本に国立劇場ができましたが、それは国民になにをもたらしましたか」その質問には少々驚いたが「これまでの松竹大歌舞伎は俳優中心の名場面集でご贔屓は満足だが、歌舞伎を総合演劇として見る人々には不都合でした。国立劇場はすべて通し狂言として上演するので、作品の背景や成り立ちが良く解ります」そんな答え方をした。
 国立劇場はいま45年周年記念で、歌舞伎を彩る作家たちシリーズを上演している。
 曲亭馬琴、近松門左衛門、真山青果、河竹黙阿弥、並木宗輔、鶴屋南北とそれぞれの代表作をならべている。義太夫狂言の名作として名高い一谷嫩軍記をみてきた。主君義経の命により、敦盛の首をとったふりをして、わが子小次郎の首を指しだす熊谷次郎直実、戦の世の無常に自ら鎧兜をぬぎ墨染めの衣となって「十六年は一昔、夢だ、夢だ」遠く戦乱の音を聞きながらひっこむ市川團十郎に涙を誘われた。言わぬは言うに勝る。だまって息子の首を妻に渡す團十郎の深い芝居が眼に焼き付いている。今時のモンスター・ピアレンツに見せたい狂言だ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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