国民的ヒット曲がなくなってしまった。
紅白にアッコが出なくなった、SMAPも出演辞退決定といわれても、ではあの歌はあの曲は誰が歌うの、という話題につながらない。 タレントの出欠だけが話題の「紅白歌合戦」っておかしくないですか! それほどに唄のパワーが落ちてしまった原因を探ってみよう。
まず①に考えられるのは、詩の崩壊。歌詞の退化である。歌詞に文学性がなくなった。
日常語をいくらならべても日常の再現にしかならない。
②番目に 言葉の崩壊。NHKアナ出身の方々は「美しい言葉」のお題目をならべたがるが、時代の言葉につい ての創造性が欠落している。
③ピアノでメロディを考えるのではなく、パソコンのソフトでつくるようになった。
則物的なメロディしか生まれない。
④リズム万能、乗れるリズムに飛びつく。踊れるリズムでなければならない。
唄の肉体化で思想性は退化した。
⑤かっては言葉優先だったが、デジタル化によってメロディに言葉を無理矢理ぶち込むようになった。
言葉の数合わせではイイ歌はできない。
⑥カラオケの普及で商業的編曲になれ、クリエイティブティが退化してしまった。
⑦歌をきかせるより、映像を見せたがる。パソコンによる文化の破壊。
⑧あらゆる時間が短くなって、遂に世界でいちばん短い歌が、日本人から生まれ、紅白歌合戦の話題となっ た。
ピコ太郎の PPAP をあなたは唄い踊りますか。 「冬の旅」をもう一度聞きたい。
国民的ヒット曲がなくなった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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