国歌斉唱・不起立に呆れる

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 いまだに国旗掲揚・国歌斉唱の折の起立問題が、尾を引いている。
「それでも君が代に屈せぬ教師たち」などと持ち上げる雑誌が存在することも困ったことだ。
 大阪での起立、斉唱の職務違反は10校12人に上るとあるが、実際にはもっと多いという。
 国歌を歌うときは起立せよという「君が代」条例が制定されても、いやだという教師たちがいる。3回繰り返したら免職という規定も無視するし、定年後の再任用をはずすとは何事と怒っている。
 日本の国土に住み、日本の社会に生きている以上、日本に忠誠をつくすのは当たり前のことで、それに反対するなら、この国から出ていって欲しい。このことは世界の常識だし、無国籍のジプシー以外はみなこの当たり前を実行している。そうしなければ、国家のアイデンティティーはなくなるし、地球の秩序も破壊される。
 長い間のだらしない教育のおかげで、オリンピックでの日本選手のだらしなさは目をばかりばかり、国家も国旗にも敬意がない。選手として国の税金から助成をしてもらって、ようやくここに立っているにもかかわらず、そのことへの感謝もプライドもないことに愕然とする。すべてを個人の功名心に帰結するために、一度メダルを手にしても満足せず、次は後輩に席を譲ろうという精神にも欠ける。そのポジションにしがみつき、何度でも出たいと我欲が横行する。
 個人としての意識と、国家レベルのルールに対応する脳ミソを持ち合わせていない。
 国歌の歌詞が気に入らなければ、歌詞の改革運動をしたらいかが。
 学校の教師が未熟な生徒のまえで不起立というのは、教師の資格を返上してからにしてほしい。
 秩序の破壊、尊敬の破壊、生徒の暴力化は、こうしたところから拡大していく。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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