困った媚中派林芳正外務大臣の趣味

by

in ,

photo_550x450.jpg
 岸田内閣のアキレス腱といわれている林芳正外務大臣……アメリカ国務省では、彼には重大情報を流すな、といわれ中国直行便と噂されている。
 この大臣、趣味のピアノをやたら披露したがる。
 バイデン来日の際、ブリンケン国務長官とのセッションを望み、飯倉公館にピアノ、ギター等を用意させた。
 ところが困ったことに、御望みの曲はいつもビートルズだという。ビートルズはイギリスを代表する音楽家であり、アメリカを象徴する楽曲ではない。外交儀礼として訪問国の音楽に敬意を捧げることはままあることだが、相手のお国を間違ってはいけない。
 案の定、ブリンケンは断ってきた。
 諦めきれない林大臣、再度ビートルズのセッションをお願いしたが、ブリンケンから「朝は6時から働かならないほど多忙で、セッションなどにかまけている余裕はない」とにべもなく断られたという。この忙しさのなかで、イギリスの代表曲などをセッションしていたら、国民からなんといわれるか判らない。
 林芳正という人が媚中派といわれ、ハニートラップにかかっていると疑われ、岸田内閣のアキレス腱といわれるのは、実は彼の民族意識の欠落に起因しているのかもしれない。東大出ても馬鹿は馬鹿といういい例だ。
 世界の政治家はみな民族の宿命を背負って仕事をしている。
 日本人はアメリカの植民地政策のお蔭で、見事に国家の存在を忘れた。国旗を粗末にするし、国歌をうたわないし、民族教育をおろそかにしてきた。世界中の政治家が参加したいと言ってきているその国葬を反対するというのも、民族の尊厳と敬意がないからだろう。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ