モンマルトルの丘の麓にある。エッフェル塔の下イエナ橋のたもとや、対岸のシャイヨ宮の前にもある。
ビュットショーモンの公園にある。左岸のリュクサンブール公園には、パリでいちばん古いそれがある。
パリ市庁舎の前には冬将軍とともに、スケート・リンクと回転木馬がでる。
夏になるとチュイルリー公園に、子供達の夢、観覧車とメリーゴーランド、いろいろのアトラクション、露天、エスキモー・ショコラとポテト・フライと風船売り、楽しい仮設遊園地ができる。
どこでも一番人気は回転木馬、メリーゴーランドだ。もともとは騎馬選手が円い馬場で鉄の棒で輪とり遊びをしていたのが始まりと言われているが、今では上下する木馬にのってくるくる回る愉しい遊具になっている。パリジァンほど回転木馬を愛する人たちは、世界中どこにもいない。
回転木馬の前に置いてあるベンチに座って見ていると、彩色された可愛い馬たちが現れては消えていく。
はしゃぐ子供同士、パパと少女、短い逢う瀬の恋人たち、をのせいつまでも回っている。
美しく、楽しく、どこかもの悲しくもある。
ピアフによって歌われたシャンソン「回転木馬」は、宝塚のレビュー「華麗なる千拍子」のテーマソングとして取り上げられた為に、日本ではやたら健康で楽しい歌になってしまった。がパリでの回転木馬はいささか異なる。
二人はこんなにも愛しあっている。回転木馬のように夢中になって、いつまでもグルグルとめくるめくベツトのうえ…といった大人のための情熱のラブソングなのだ。
ヘミングウェイも執筆に疲れると、いつもリュクサンブールの回転木馬のまえに佇んでいたと伝えられている。
回転木馬は大人の夢
コメント
1件のフィードバック
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本物の回転木馬には、ゴールドリングがある!
そんな逸話の、原点を初めて知りました。
輪とり遊びが、ベースだったとは、そう思うと、上下動等の動きに全部説明がつきます。 納得です。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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