美味い鯛焼きのある町はなぜか信用できる。パティスリーやパンヤがいくらあっても信用につながらない。鯛焼きを一生県命に焼いているおじさんはきつと裏切らないだろうという予感があるし、その町に住む人々みんながいい人のように感じた。 小さな旅をして田舎町に鯛焼きや大学芋の看板を見つけるとなぜかとても嬉しい。ノスタルジーがかきたてられる。
だから四谷というのは大好きだった。四谷見附から新宿に向かって歩き、まもなくの丸正の角を左に曲がる。100メートルほど歩くと、やがて右側に「四谷見附名物 たいやき わかば」の看板がみえてくる。店頭では一匹ずつの焼き型をずらりと並べて忙しく焼く人、焼きあがった鯛の尾ひれについた余分な皮を鋏で切って整える人、出来上がった鯛焼きを包んで渡す人が流れ作業で、もうもうと上がる煙のなかで働いていた。店の前におかれた縁台には、いつも10人ほどの客が、尻尾までしっかりとアンコのつまったたいやきの焼き上がりを待っていた。一匹ずつ焼くのを天然ものといい、一度に何匹もやく近頃のものを養殖ものというそうだが、鯛焼きは天然ものに限る。
正月の餅つき大会でも、オロシ、納豆、きなこのうえに、アンコは四谷のわかばと決まっていた。ほのかな塩加減とアンの甘さが、搗き立ての餅にとてもよく合った。上等の和菓子やのアンより、わかばのアンのほうが、数等倍評判がよかった。
徹夜のドラマ収録のスタジオでも、差し入れ人気ベストワンは、わかばのたいやきだった。まま彩りあざやかなケーキなど差し入れてくれる女優さんもいたが、フォークと皿がないよーとどうしても不人気。たいやきなら素手でかじればいい、現場のスタッフには好評だった。野郎はアタマから、オンナは尻尾からかじれ、などといいながら、たまに男で尻尾からたべているのがいると、お前オカマだったのかと囃しながらいただいた。佐久間良子さんの差し入れはいつも「わかばのたいやき」だった。
四谷わかばの鯛焼き
コメント
1件のフィードバック
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今日、新聞社の帰りに20数年前に寄ったことのある鯛焼き店に行った。店も道路も包装紙まで、すっかり昔のおもかげはない・・しかし、オヤジは昔のオヤジらしい風格。
アンコの鯛焼き5ケ買った。うまかった・・2ケつづけて喰った。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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