四代目猿之助への期待

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 亀治郎が四代目市川猿之助を襲名した。
 いまもっとも油ののった時かもしれない。歌舞伎はもちろんのこと、映画、テレビ、演劇、朗読とあらゆる方向にアンテナを張って活動している。亀治郎大博覧会にいたっては、いささか悪乗りの部分もあるが、商業ビルの宣伝イベントとしては成功だったといえるのだろう。
 新猿之助は玉三郎ほどのイケメンでなかったことが幸いしている。だから玉三郎ほど自己陶酔度が高くない。玉三郎は総ての役を自分色に染付け、それがまま作品の魅力を削いでいた。そうしたひとりよがりが、新猿之助には少ないだろうという期待がある。
 猿翁十種の「黒塚」を見た。安達原の老女を演じる前半と、鬼女があらわになった後半の変化に表現の面白さがあるが、見事に演じ切っていた。團十郎の阿闍梨の存在があつてこそではあるが、鬼女の内面に迫った好演だった。自宅に瞑想室をもち、哲学にふれ、魯山人のうつわや、海外に散逸した役者の浮世絵を集めているというオタク振りが、役者としての脚本の読み込みに深みとなってでているのだろう。
 三代目猿之助も勉強の人だったが、四代目は確実に三代目を超えていく予感がある。願わくば、若い観客の喜ぶ表面的なスペクタクルではなく、同時代の人の内面にくい込み、十二分に新しい表現にみちた歌舞伎を創っていって欲しい。ライオンキングを26回みるよりは、もう少し大切なものがあるかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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