「まねき見はりましたか?」キョトンとしていると、
「やっぱりガンジロウハンのまねきがよろし。顔見世に鴈治郎はんのまねきがないと、寂しおす」
京都の町衆にとっては、師走南座の吉例顔見世興行は暮らしのなかの通過儀礼になっている。中国の爆買いツアーが、四条界隈をはしりまわっていても、何の関係なく顔見世の噂が飛び交う。
父の人間国宝坂田藤十郎、兄弟の中村扇雀、息子の壱太郎とともに壱年有余に渡った四代目中村鴈治郎襲名披露も、南座の顔見世で大団円となる。
夜の部を見た。鴈治郎さんの出番は、口上と土屋主税だ。
お家の芸として伝えられる「玩辞楼十二曲」の土屋主税は、ほとんど座ったままのセリフ劇で、内面描写がよほどしっかりしていなければならない芝居である。見栄もきらなければ、派手な動きもないままに、たんたんと仁左衛門演じるところの大高源吾の苦悩と歓びを受け止める。
立派な主税だった。「浅野殿は良い家来を持たれた」見送る主税の想いに思わず涙した。
もうひとつ、襲名披露の祝い幕がとてもよかった。
満月の秋の夜空に四羽の雁が元気よく飛んでいく。見送るは成駒家のシンボルである芒と、画家森田りえ子の人気柄白い糸菊がそえられている。
雁が鳴き、菊が咲き、秋草がたなびく、雁に託されたロマンティックな世界観にすっかりやられた。祝い幕の素晴らしいにひさしく会えていなかった、さすがのガンジロウハンである。
四代目中村鴈治郎の襲名披露
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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