四万六千日か、ほおずき市か?

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 浅草寺の「四万六千日」ほど、江戸っ子の都合に合わせた功徳はない。
 誰が考えたのか、この日お参りすれば46000日分お参りしたことになる。46000日といえば、126年分に当たりどんなに長生きの人でもそこまでは生きていないだろう、というひどく好都合な功徳の日である。
 そんなにお人好しの仏様はいないだろうと忖度して、毎年四万六千日ときくと、観音様に足を運ぶのが下町の善男善女である。
 何故「四万六千日」かというのに、米一升という説もある。
 米一升が米粒46.000粒というところから、米一生を願って「四万六千日」の功徳にあやかるという話だ。
-ほうずき娘.jpg ホウズキ.jpg
 更にこの功徳にあやかったのが、「ほおずき市」。
 ほおずきは子供の癪を追い出し、体内の虫に効くというところから四万六千日に市をたてるという知恵者がいた。
 そのうえこの市に参加するほおずき農家は、若いいなせな娘さんを店頭にたてる工夫をした。下町の旦那衆は娘さん目当てで観音様に詣でる。観音様と娘さんの二重効果でほおずき市はますます繁盛。
 観音様もついでに「夏の雷除け」を限定販売、ますます善男全女が集まるという゜四万六千日である。
雷除け.jpg


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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