嘆きの牛にかわって。

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安芸の国広島あたりには、「花田植」と呼ばれる祭りが、あちこちにある。田楽団と早乙女たちと造花とささらに飾られた花牛が主役なのだが、何年か前、近頃は牛が役立たずで、という嘆きの声をきいた。道行ののち、田圃にはいって花田植えとなるのだが、近頃の牛は田圃を怖がってあぜ道に居ずわってしまうそうだ。 苗代から収穫まですべて牛が主役だった仕事を、近年牛が忘れてしまっているのだ。
 季節に関係なく21日間隔に発情する牛は模型の牝牛台にのせられ人口膣に射精する「横取り法」という精液採取もなんとも悲しい風景だが、もはや牛の野生は失われてしまったのだと、諦めるしかない。
 お国の交付金で維持されている家畜改良センターから家畜改良事業団への種牛の貸付は40年間無償で行われ、過去5年間だけでも33億の利益をあげていたといわれるが、凍結精液の販売利益はすへ゛て事業団の役人のふところに入っていたと言うのだからあきれる。牛は役人の金儲けのツールとなり、なにもわからずに擬牝台のうえで今日も発情を繰り返しているのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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