先進国のなかで、住宅事情にもっともめぐまれていなかったのがこの国。その間隔をついて街のあちこちにできたのが、喫茶店だった。
喫茶店は接待の場所となり、ある時は憩いのスペースとなった。またある時は、待ち合わせの場所になった。仕事の打ち合わせを喫茶店の小さなテーブルでしたこともある。街の小さな喫茶店はじつに多機能だつたし、その町のアイコンにもなっていた。西荻窪にはこけしやがあった。有楽町にはアマンドがあったし、銀座にはトリコロールがあった。
自慢のコーヒーをかたくなに入れる名物親父がいたし、親切に身の上ばなしにのってくれる心やさしいママもいた。仲間内で張り合ったマドンナのいる喫茶店もあった。その店なりのいろいろなサービスがあって、客と店には心通う連帯感みたいなものがあった。
そこに登場したのがマニュアルとなずけられた化け物だつた。あの頃から喫茶店の終わりが始まったような気がする。そこに接客のメソードはあつても、接客の心はなかった。データにもとずく、マネーメントだけがあって、労働のスペースとしての喫茶店はもはや喫茶店ではなくなっていた。
いまでは爬虫類のいる爬虫類カフェ、サプリをくれる薬剤師カフェ、スイーツの量り売りをしてくれる量り売りカフェ、客をやたらに褒めまくるホメホメ・カフェといろいろあるが、どこのお店もコンセプトやらにもとずいたみえみえのお茶どころだ。
パリにもカフェはたくさんあるが、日本のようにマニュアル働きのこころの通わないカフェは一軒も見当たらない。カフェはその街の成熟度を測るモノサシのようなものだ。
喫茶店そしてカフェ
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す