「退職代行サービス」と聞いて、なんのことか意味がわからなかった。
落ち着いて内容を聞いて合点がいったのだが、日本人はいつの間にそんなにだらしのない人間になったのか、聞けば聞くほど情けない思いにとらわれた。
「辞めます」「辞めさせてください」が言えない。自分の意思を自分の口からいえない。優しいママは、うちの子はやさしいからとか、本当にナイーブなの、とかおっしゃるが、そんなのはただ単純に気が弱くて、頭が悪いとしかいいようがない。
コミュニケーション能力というほど上等なものではなく、基本的な生活能力の欠落以外のなにものでもない。心優しい社会をめざしたここ20年ぐらいの負の結末と断言できる。
この退職代行サービスの利用者は、20代前半の男性が70パーセントを占め、女性は30パーセントに過ぎないという。
ダメ男が急速にふえていることがわかる。過保護のゆとり世代が男の野性をうしない社会に適応できなくなっているのだろう。適応できないといえば、新皇后になられる雅子妃と共通点がある。新しい環境に飛び込んでいく覚悟がない。パワーもない。誰かの陰に隠れてジッとしていることしかできない。カメラの前に立つだけで気分が悪くなり、病に伏せる。めんどうくさくいえば適応障害だが、半年、一年を超えて10年にも及ぶというところが、完全に人間力を喪失している。
庶民なら退職代行サービスに駆け込んで、5万円払いこめば処理してくれるが、天皇家ではそうもいかない。
金もないのに海外留学をしたがったり、足が短くてもミスター湘南ボーイになりたがったり、借りた金を返さなかったり、普通の庶民感覚から見れば、とんでもなく変な奴なのに、それが判らない国民が圧倒的にふえてしまったのだ。
「退職代行サービス」はここ二、三年で10倍の規模に増えたと社長さんは豪語していたが、退職代行の社員が辞めたいときは、何処へ駆け込んだらいいのと、お笑いが茶化していた。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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