呪われたボリショイ劇場

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 帝政ロシア最高の文化遺産といわれている、モスクワのボリショイ劇場が災難つづきである。
 年初、芸術監督セルゲイ・フィーリンが強烈な酸性の液体を頭から浴びせられ、失明状態になった。ボリショイはかねてからコールドダンサーに対する性的接待の強制やら、パワハラによって踊り手の亡命事件を起こし、ロシア・バレエ界の伏魔殿といわれていたので、芸術監督の失明事件もさもありなんといった受け止め方である。
 更に楽団歴40年のベテラン・バイオリニスト  ビクトル・セドフが、客席と舞台の間にある、オーケストラ・ピットに落ちて、命を亡くした。
 40年間もバレエ公演に付き合い、劇場の裏も表も知り尽くしているベテラン演奏家が、今更オケピに落ちて死ぬとは、何かに祟られているとしか思えない。
 更に最近、舞台の転換中に大道具の下敷きになって、37才の俳優が死んだ。リムスキー・コロサコフの歌劇サトコの上演中の出来事だった。サトコの亡霊に祟られたのかもしれない。
 夏になるとボリショイの先生たちは日本にやってくる。
 日本では、そこら中でバレエ・コンテストが開かれ、審査員はどういう訳かボリショイの先生たちである。ロシア人に眼をつけられたバレエ少女たちはまだ見ぬボリショイの幻想に浮かされ、ボリショイ・バレエ学校をめざす。そして現実に遭遇し、絶望して帰国するか、ロシアの片田舎で皿洗いをする。
 そんな害毒をながしているボリショイだが、なにはともあれ古典バレエのメッカの御難つづきとは、にほんから陰陽師でも連れていき御祈祷せねばなるまい。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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