オスプレーが海に不時着した。
アメリカのニコルソン沖縄4軍調整官は、市民に被害を与えることなく、海に着水したのはとてもい判断だったと発言、これに対し、だからオスプレーは危険、オスプレーは配備すべきではないと、騒いでいるのは日本のメディアと沖縄の翁長知事、それに基地反対のプロ市民、と全国にちらばっている教条左翼の連中だ。
沖縄の米軍に関していえば、オスプレーのおかげで圧倒的に戦力が向上した。行動半径が圧倒的に広がり、台湾、韓国はもとより中国上海まで飛べるようになった。スピードも従来のCHー46ヘリコプターに比べると2倍の速さになった。積載量も3倍にあがった。その分兵員を減らして、国防のための指数が一気に上がったのだ。
兵器にかぎらず民生用の航空機でも開発から完成までは最低でも10年ぐらいの時間がかかる。失敗をくりかえし、改良点をみつけ補足していって、初めて完成度の高いものが生まれるのだ。一回の事故で、だから駄目な飛行機だと発言するのは児戯にひとしい。
いままでに存在しなかった垂直離着陸の機能や、固定翼機能の融合という難題を解決した画期的な飛行機であるからには、まだまだ多くの改良を重ねなければならないだろう。そのたびごとに、オスプレー反対と騒いでいては世界中から笑いものになる。高性能のヘリを何故そんなに嫌がるのか日本人の脳みそを覗いてみたい。
他の飛行機に比べてもオスプレーの事故率は圧倒的に低い。一般機の2.45パーセントに対し、オスプレーは1.93パーセント、このままでも充分通用するレベルにある。
駐留米軍についても、、防衛力の手薄なこの国を守ってくれている。米軍がいなければ、韓国も中国もやりたい放題、尖閣、竹島はもとより沖縄すらも安全は保証されないのだ。今回のような事故が起きた場合、兵士にたいするいたわりや感謝の心をすこしは持った方がいいのではないか。不時着したことに対し、鬼の首でもとったように、オスプレー追放を叫ぶのはどうも検討違いだ。すこし引いて考えたら誰でもわかることなのだが、いつから日本人はこんなに頭がわるくなったのだろう。
ニコルソン管理官に言われるまでもなく、ニホンを守るため多くの兵士たちは日夜訓練に励んでいるのだ。
名護沖海岸にオスプレー不時着。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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