吉例顔見世・京の師走

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 京都南座の顔見世興行に行ってきた。劇場正面に役者看板「まねき」が上がると、京の町も師走を迎える。なんとなく忙しく、町行くひとの背中、芸妓衆の足元にもいつもと違った気ぜわしさが見える。
 幕開きは一年の無事を祈り、悪霊を鎮める祝典劇「曽我対面」、いろいろに絵面を創るがどことなく粒が小さい。ちんまりとした我當では五郎十郎に討たれる覚悟が伝わってこない。
 二番目は川口松太郎の世話物「お江戸みやげ」、田舎者まるだしのかつぎ呉服を演じた翫雀が抜群の面白さ、昔新派の名優としてならした英 太郎の下女を思い出した。
 そして三番目には藤十郎の「隅田川」内面のリアリティとファンタジーがからんだ藤十郎ならではの幽玄美に酔う。
 きりはお富と与三郎、仁左衛門の切られ与三郎はいかにものイケメンで男の怨みと未練に無理がある。菊五郎の蝙蝠安がなんとも楽しかった。
 花吉兆が二階の東でつながっていたときは、食事の楽しみがあったが、それも絶たれ、縁高はお届けしますので客席でどうぞといわれても、桟敷ならともかく、狭い南座の座席ではどうにもならない。顔見世の楽しみも年々痩せて行く。
 となりの松葉で、にしん蕎麦あたりが師走の京都にちょうどいい。帰り道、町屋手拭いをのぞき、おうすの里の梅こぶ茶を求め、クロチクで當る辰歳のカゴ竜をかって、さて新幹線は何時に乗ろうかと空を見上げたら、東山のほうに雪が舞っていた。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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