台湾、本省人と外省人の壁

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台湾、本省人と外省人の壁
 「だらだらせずにもつと機敏に歩いて」「目線は上、劇場の奥を見るつもりで」具体的なショウのリハーサルではなく、それ以前の3日間の基礎研修の時だった。
 オール台湾から公募したモデル20名の選抜チームだった。基礎研修2日目、定刻になっても始まらない。廊下に何人かのモデル達、親が混じって主催者側に猛烈な苦情を言っているようだ。よもや原因が自分にあるとは露ほどもおもわず、時間がないから早くやろうと、気合をかけた時、総経理秘書の女性が切羽詰まった顔をして側にきた。
 「ホシノ先生、少しお話があります。」彼女は小声になって、「じつは昨日の稽古で、怒られたモデル達が、みな外省人ばかりでした。外省人は大陸から将介石とともに来た人たちで、今の台湾を支配してます。だからなににつけても外省人を立てないと上手くいきません。先生がいいモデルを育てようと怒っていられるのは判りますが、本省人の女の子が怒られないで、外省人ばかりが怒られるのはどうしてだと、もめています。いま説得しますから、もうすこし時間をください。」
 台湾生粋の本省人と大陸から来た外省人のあいだに、そんな壁があるとは思わず、いつものスパルタで訓練したのがとんだ騒動を起こしてしまったのだ。
 本省人の人々は口にこそしなかったが、日本人に対しかなりの親近感をもっていた。
 第二次大戦後、共産党に負けた国民党とともに台湾に逃れてきた人々は、敗残の人々ながら台湾の支配者となっていた。そこに乗り込んだ小さな日本人が、外省人の美しき子女たちをガンガン叱ったので平和に収まる筈もなかった。幸いにもその秘書長の説得で騒動はおさまったが、台湾生粋の本省人と外省人の間にある差別と思想の断絶について、しみじみと考えさせられた。
 8年ぶりに民進党の蔡英文氏が総統に選出された。もはや中国大陸にかかわってきた外省人の権力者達は高齢となり、圧倒的な少数派であると伝えられるが、台湾は台湾、中国は中国、という本省人の若者たちに明日を期待しよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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