「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」
夏目漱石の一文に出逢ったとき、初めて猫という動物の魔性を見たような気がした。その後、宮沢賢治の描く猫たち……「猫の事務所」「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」などを通して、小狡く人間並みに意地悪な猫の内面に接した。
犬は忠犬ハチ公のようにひたすら誠実な家畜として描かれることが多いが、猫はそう単純な話にならない。身体を無防備に投げ出して、愛撫に身を任せる女性のごとき態を見せるかと思えば、突如豹変して猛々しく人間に歯向かう猛獣にかわる。いまは亡き向田邦子の仕えていた高級な猫はまさにそうだった。彼女にはその毛並みの優れた猫の両面が判るらしく、不思議な調和を保って暮らしていた。
ジャンコクトー、ダビンチ、クリムト、藤田嗣治、三島由紀夫、森茉莉、みんな異常に猫好きだった。ムーラン・ルージュにも五、六十匹の猫がいて昼間客席のあちこちにごろごろしていたが、夕方オープンの時間が迫ると不思議と姿を消した。あの大きな猫たちは何処へ行ってたのだろう。
フランスの風刺漫画家シネは、そうした猫の生態にメスを入れ、フランス語のCHAT(猫)をもじって多種多様な猫を描いた。高島田にかんざしをさして長煙管で煙草を吸うGEI CHAT芸者猫、ヴァイオリンを弾く猫はPIZZI CATO、大きな長靴ちょび髭でステッキを振り回すCHAT PLIN、ベレー帽でキャンパスに向かうCHAT GALLシャガール等々、いずれも大人がにやりとする猫のイラストだ。
ヘミングウェイは最初の妻ハドレーをキャットと呼び、「武器よさらば」のヒロインをCATHERINEとして、猫と女性を重ねていた。60匹以上の猫と共に暮らし、今でもキーウェストのヘミングウェイ・ハウスは猫がいっぱいと言われている。
可愛い子猫ちゃんは何処に
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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