古館伊知郎ののぼせぶり

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 「もう、やってらんない。俺は降りる」古館ののぼせぶりが聞こえてくる。
 報道ステーション恒例会議でのこと。一度ならず、二度三度と、降りる降りるとわめき、部屋を出て行くそうだ。
 反原発にめざめた古館が、原発ニュースをまず始めに取り上げろと、強硬に主張する。プロデューサー始めスタッフは、日々のニュースを俯瞰し、今夜は消費税問題とか、領土問題とか、提案しても、古館はとにかく反原発にこだわってごねる。そのうえ、「俺は降りる」の連発では始末におえない。
 俺は司会者ではない評論家だから、という思い上がったセリフにもあきれる。もともとプロレス中継で売り出したアナウンサーだが、いまだにヘッドボイスが強く、イントネーションが教養深さのないアジテーションで、スポーツ・アナ独特の軽さにみちている。政治社会を論じるにふさわしい思慮深さは爪のあかほどもない。児童劇やドサ芝居にママ見られる単純な強調トークで、話術が実に安っぽい。言葉に影がなく深さがなく、すべてが浅い。
 そこまで古館を逆上せあがらせてしまった原因はテレビ朝日側にもかなりの責任があるが、社長と親しいからとばかりの直訴趣味もいただけない。朝日の解説委員から派遣され、もつぱらテレビ局の幹部間を泳いで、タレント芸者をめざすオールド記者にも困ったもんだが、いずれもテレビ局の見識が地に堕ちて、視聴率しか口にしない経営陣に原因はある。
 古館もこの辺でお辞めになるのが、ベストの選択だろう。どうぞお辞めください、といえないプロデューサーや社長にものの憐れを感じる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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