反撃能力が理解できないワイドショーの司会

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 夜の10時過ぎ、何気に民放のワイドショーが眼にはいった。
 多局から移ってきた30がらみの女性司会者が吠えていた。
「唐突に反撃能力といわれても、私たち国民には判らない。もっと説明してくれないと乱暴だ!!」
 横に座っ入る男性は「もっとこういうことは時間をかけて議論をふかめたいですね」
 夕方、聞く力のある首相の記者会見への反論のようであった。 立憲民主とみまごう説明と反対と議論を女性司会者が訴えている。
 こうした頭の悪い司会にであうとうんざりする。
 ウクライナへのプーチン侵略、習近平の台湾への野望と南西諸島に対する日々の侵犯、北朝鮮のミサイル射撃や核実験、いま日本の周りにやまほど存在する危険な国際情勢がこの司会者にはまったく見えていない。それとも見えていても見えないふりをしているのか、いまさら敵基地反撃能力の必要性など、子どもでも判っている。敵の侵略意図をためらわすような軍備を持たなければ、座して国家国民は滅びてしまう、という現実が理解できないこうしたワイドショーの司会者は、国民の迷惑以外のなにものでもない。
 打って変わって次のスポーツ・コーナーでは、一発蹴ったカタール大会のサッカー選手に全身媚びて褒め上げていた。すべての日本人に希望を与えてくれた、感動しました。と女性司会者は日本人代表をかってに背負い込んで醜い媚態を曝していた。お隣の中国やウクライナの見えない奴に、カタールの一球がみえてたまるか。馬鹿も休み休み言えというワイドショーであった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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